理想と現実 3



「本当にこんなことしちゃっていいのかな〜?」

「ねぇ兄さん」と、困惑の言葉を吐きながらも、ロロは楽しそうにルルーシュに言われた作業を続けている。

「問題ない」
「でも、ジェレミア卿にばれたら怒られないかな〜?」
「こいつだから問題がないんだよ!」
「そんなもんかな〜?」
「こっちの準備は済んだ。ロロ、そっちはどうだ?」
「うん。言われたことは大体終わったよ。・・・でもさ?」
「なんだい?」
「・・・もしジェレミア卿が切れちゃったらどうするつもりなの?腕力じゃ敵わないよ?・・・僕のギアスも利かないし・・・」
「それならちゃんと策は用意してある。心配はいらないよ。それより、遅くまでつき合わせてすまなかったな。あとは俺一人でやるからお前はゆっくり休んでくれ」
「本当にだいじょうぶかなぁ?」
「ああ。心配しないでも本当に大丈夫だから・・・」
―――もしも切れて暴走したら、そのときは涙をいっぱい浮かべてジェレミアの庇護欲をたっぷりと掻きたてる「かわいい理想の主」を演じてやるさ。

心配しながら部屋を出て行くロロを他所に、ルルーシュは余裕の笑みを浮かべて、気を失ったジェレミアを見下ろしている。
その手には、ちゃっかりと目薬が握られていた。





吸い込まれるような闇の中からゆっくりと浮上するように、途切れた意識が覚醒するのを感じて、ジェレミアは重たい瞼を開けた。
朦朧とした瞳に見慣れない天井が映し出される。

「ここは・・・?」

自分が今どこにいるのかがすぐには理解できなかった。
首を動かして辺りを探るように見回すと、見覚えのある室内の輪郭がジェレミアの視界に映し出される。

―――・・・そうだ、ここは・・・ルルーシュ様のお部屋だ・・・。

明かりを落とした室内は薄暗く、ジェレミアの知っているそことは少し雰囲気が違って見えるが、部屋の造りは確かにルルーシュが普段使っている部屋のものだった。

―――なぜ・・・私は、ここにいるのだ?

状況を理解することができず、まだ朦朧さの消えない頭で記憶を辿る。
記憶を辿りながらもジェレミアは辺りの様子を窺って、状況が理解できるだけの情報を収集した。
普段ならキッチリと掃除が行き届いていて塵一つ落ちていないはずの床には、なぜか脱ぎ散らかしたように衣服が散乱している。
ジェレミアのいるベッドのすぐ傍の床には丸めた紙屑が散らばっていた。
徐々に甦る記憶と周囲の状況に、ジェレミアの頭の中の血の気がすぅっと引いていく。
恐る恐る、それまで向けていた視界とは真逆の方を振り返ると、そこにはルルーシュの姿があった。
自分のすぐ横で主がすやすやと眠っている。そんなことはあってはならないことだった。
心地よさげに眠るルルーシュの姿を見つけて、ジェレミアは「ひぃぃぃぃッ!」と心の中で思わず悲鳴をあげ、飛び上がらんばかりに勢いよく上体を起こして恐れ戦く。
しかし、ルルーシュはピクリとも動かず、まるで死んだように眠っている。

「・・・ル、ルルーシュ・・・さま?」

控えめに声をかけてみたが、ルルーシュは深い眠りの中にいるのか、目を覚ます気配はない。
物音のないぼんやりとした薄闇の部屋は、一瞬時間が止まっているような錯覚をジェレミアに感じさせた。
惹きつけられたように、目を覚ます気配のない主の寝顔をじっと見つめて、ジェレミアの指がルルーシュの柔らかそうな髪に触れる。
さらさらと指から零れ落ちるその髪はジェレミアが思っていた以上に触り心地がよかった。

―――わ、私はなにを・・・!?

自分でも信じられないような大胆な行動に、ジェレミアは慌ててルルーシュの髪に触れた手を引いた。
それでもルルーシュの寝顔からは目が離せない。
漆黒の黒髪も、日に焼けていない白い肌も、女性のような長い睫毛も、柔らかそうな唇も、そのすべてがジェレミアの心を魅了して、「触れたい」という欲を抑えることができなかった。
ルルーシュの顔に掛かった髪をそっと掻きあげると、ジェレミアの指先がルルーシュの白い頬に触れた。
未だ夢の中にいるだろうルルーシュがくすぐったそうに首を振り、ゆっくりと瞼を開ける。
眠気の残る瞳でぼんやりとジェレミアを見上げて、ルルーシュは微かに笑みを浮かべた。

「ルルーシュ様・・・」
「なんだ・・・起きていたのか?」
「はい・・・」
「今は何時だ?」

問われて、ジェレミアは慌ててベッドサイドに置かれた時計を見る。

「深夜の二時を少し回ったところですが・・・」
「そうか・・・」

外気に曝された剥き出しのルルーシュの腕がジェレミアへと伸ばされて、手をとってゆっくりと引き寄せられる。
捲れた夜具から覗いているルルーシュの身体は何も身に着けていない。

「ル、ルルーシュ・・・様?あの・・・」
「どうかしたのか?」
「あ、あの・・・お、御召し物は・・・いかがなされた、の、ですか?」
「覚えて、いないの・・・か?」

ジェレミアの問いにルルーシュは怪訝そうな表情を浮かべた。
ジェレミアにはそれが何故なのか、理解できない。

「・・・は?覚えて・・・?・・・って、一体何のこと、でしょうか?」
「お前は薄情な男だな!あんなことをしておいて、何も覚えていないとはな。・・・それとも俺を馬鹿にしているのか?」
「ルルーシュ様を馬鹿になど、とんでもありません!ほ、本当に覚えていないんです!!」

「信じてください」と必死に訴えるジェレミアを、ルルーシュは侮蔑の眼差で見ている。
その視線がジェレミアを恐怖のどん底に突き落とした。

―――・・・私が一体なにをしたというのだ!?ルルーシュ様はなぜあのような目で私を見られるのだ!?

ジェレミアは必死に記憶の糸を手繰り寄せるが、ルルーシュの言う「あんなこと」というのがまったく思い出せない。
記憶にあるのはルルーシュに誘惑されたという、俄かには信じられないような事実だけだった。

―――私はルルーシュ様に・・・ゆ、誘惑されて、頭が朦朧となって、それから・・・それから・・・その後は・・・?

その後のことがどうしても思い出せないジェレミアは、記憶を辿るのを諦めて、今の状況からその後の成り行きを改めて推測することにした。
床に散乱する脱ぎ捨てられた衣服は何も身に着けていないルルーシュのものだろう。
ベッド近くに落ちている紙屑は訳がわからないからという理由でこの際無視することにする。
ベッドの上には裸のルルーシュと、自分がいる。
そして、自分は、

―――・・・なッ!?な、なんなんだ・・・これは一体!?

自分の状況を改めて確認して、ジェレミアは驚愕した。
上着を自分で脱いだことは覚えているが、シャツのボタンが胸の下くらいまで外されていて、自分の半身が露になっている。
恐々と夜具を捲り上げ、その下に視線を移動させたジェレミアは、自分でも信じられない事態に愕然となった。
腰のベルトが外されていて、ズボンのファスナーは全開に開け放たれている。
中の下着は無事だったが、その中身が問題だった。
ジェレミアに突きつけられたこの現状からはじき出される答えは一つしかない。

―――わ、わ、わ、私は・・・ルルーシュ様と、一線を・・・越えてしまったのか〜ッ!?

そんなことは馬鹿でも理解することができるだろう。

「・・・どうした?思い出したか?」

予想以上の反応を示し、顔面蒼白になっているジェレミアにルルーシュは心の中でほくそ笑む。
ジェレミアはパニックに陥っていた。

「ももももも、も、申し訳ございませんッ!!申し訳ございません!申し訳ございませんッ!!」

ベッドから飛び降りて、乱れた着衣を直すことすら忘れて、ジェレミアは床に頭を擦りつけながら謝罪の言葉を繰り返す。

「思い出してくれたのならそれでいい。・・・別に怒っているわけでもお前を責めているわけでもないからな」
「し、しかしそれでは、私の気が済みません!臣下という立場を弁えもせず、私は・・・私は、ルルーシュ様を・・・」
「俺が誘ったんだからお前を咎めるわけにはいかないだろう?」
「しかし・・・」
「もういいと言っている。あんまりしつこいと怒るぞ!?」
「・・・・・・・・・・・・・」

そう言われてしまうとジェレミアは黙るしかなかった。
黙ったまま、床に額を擦りつけて、ジェレミアは顔を上げることができない。
記憶は曖昧のままだったが、状況証拠はすべて「一線を越えてしまった」という事実を示している。
ルルーシュが嘘を吐いているとは考えられなかった。
ジェレミアはどんな顔をして主の顔を見ればいいのかわからない。
そんなジェレミアをルルーシュは冷静な目で観察するように見つめていた。

「ジェレミア」

呼ばれてジェレミアは顔を上げないままに「・・・はい」と返事をする。
「顔を上げろ」と言われて、ジェレミアは恐る恐るルルーシュの言葉に従った。
ルルーシュは腰にバスタオルを巻きつけた格好で、ベッドに腰掛けて脚を組みながらなにも言わずに、怯えた目をしているジェレミアの顔を真っ直ぐに見つめている。
心の中までを見透かすようなその視線に、ジェレミアは背筋が冷たくなるのを感じた。
さっきまでのルルーシュとはまったく別人の顔だった。

「ジェレミア」

しばらく沈思したルルーシュがようやく重い口を開く。
しかしそれはジェレミアを安堵させるような軽い声ではなく、重く威厳の感じられる声で、ジェレミアは主のその声に萎縮し、条件反射的に頭を下げた。

「お前の理想の生き方とはなんだ?」
「私の理想は・・・主君の為に忠義を尽くし、それを全うすることです」
「では、お前が主君に求める理想とはなんだ?」
「それは・・・わ、私が主君に理想を求めることなど、畏れ多いことでございます」
「理想など必要ないと?・・・それでは忠義を尽くす相手は皇族ならだれでもいいということにならないか?そうやって権力者に諂って何がおもしろいのだ?功績が欲しいのか?それともそれで得られる地位が望みか?」

「理解できないな」とルルーシュは鼻で笑う。
ジェレミアは萎縮したままで顔を伏せている。

「それではなぜ俺を主君と定めた?俺はお前の望むものを何一つ与えることはできないぞ」
「そのようなことは望んでおりません!私は、私の為に・・・」
「自己満足の道具として俺を選んだと、認めるか」
「・・・はい。・・・私は・・・私には生きる理由が必要でした」
「それは違うだろう?お前が必要としていたのは、生きる理由ではなく、死ぬ理由なのではないのか?」

心の奥に隠していた本心を見透かされて、ジェレミアは驚いて顔を上げた。
ジェレミアの目に飛び込んできたルルーシュは、確かに笑っていた。
そして、

「俺に忠義を尽くすというのなら、お前を臣下として認めてやろう」
「ほ、本当でございますか?」
「但し、自分の為ではなく俺の為に忠義を尽くせ。死に場所を俺に求めるな。それができないならお前などいらない。死にたがりの臣下などは不要だ!」

ジェレミアは震えていた。
全てを見透かすルルーシュに対する畏れもあったが、それ以上に目の前の優秀な主君に認めてもらえたことに、涙を浮かべて歓喜していた。

「返事はどうした?」
「・・・Yes,Your Majesty!」

ルルーシュはその姿を満足そうに眺めて、表情を緩めた。

「ところで・・・お前はいつまでそうしているつもりなのだ?」

言われてジェレミアは慌てて自分の着衣の乱れを整え、片膝立ちの姿勢をとってキッチリとした臣下の礼で頭を下げる。
苦笑するルルーシュに気づいていないのか、ジェレミアは畏まったまま主の次の言葉を待った。

「そんなことを言っているのではないのだが・・・」
「・・・は?で、ではルルーシュ様はなにをお望みなのでしょう?」
「そんなところでいつまでも畏まられていては寝るに寝れない。とにかくこっちに来い」
「し、しかし・・・」

ジェレミアは顔を紅くして躊躇っている。
騙されているとも知らずに、ジェレミアはルルーシュの創った嘘を信じきっていた。

「お前、俺とやった記憶がないんだろう?」

露骨なルルーシュの言葉にジェレミアは顔をますます真っ赤にして俯いている。

「状況証拠だけでこうもあっさりと信じるとはな・・・」
「は!?・・・い、今なんと仰られました?」
「お前、頭の柔軟性が足りないぞ」
「そ、それでは私は・・・」
「だからお前は馬鹿だというんだ。セックスして記憶がないなんて、やばい薬でも使わなければあり得ないだろう?」
―――は、嵌められた・・・!

相手を心理的に追い込んで、本音を吐かせる策略に見事に嵌められたことに気づいたジェレミアは、魂が抜けたような間の抜けた顔をしていた。

―――そうそう!お前のその人間臭い顔が見たかったんだよ!

ルルーシュは大満足である。

ジェレミアの長い夜は、これでようやく終わる・・・ことができるのか?



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